2016年12月号 

ご挨拶

会長(S50年卒・Vc) 橋本 伸一郎

hashimoto 今年、法政大学交響楽団は創立95周年を迎えました。と、言っても当たり前ですが私が創立時にいたわけでもなく、その時間を体験したわけでもありません。音楽が好きでたまたま入学した大学にオケがあり入団したに過ぎず、長い歴史に魅力があったわけでもありません。それは誰しもそうだったと思います。団員としての自分の喜びは毎日音楽に触れられることと、同じく音楽に魅了された仲間たちと交わす会話と酒であって、時間に培われた重みや価値の中にいることを実感することはありませんでした。しかし、3年生で責任者となり、第50回定期演奏会記念コンサートを迎えるにあたってその重さと価値を知ることとなります。
 1974年3月3日(日)東京文化会館大ホール ベートーヴェン交響曲第9番「合唱つき」
今と違ってせいぜい5,60名ほどの団体にただただ第50回を「第九」で飾りたいという我儘に近い願望を決めた時、まったく接点の無かったOBの皆さんから、それも一世代も二世代も上の先輩方から暖かいお力をいただきました。何世代も上の先輩方にも演奏に参加いただき、正直エキストラ代にも苦慮する我々をサポートして頂き、財政的負担の軽減にもなったのです。励ましの言葉は戦前の先輩方からも寄せられた記憶があります。たぶん「第九」は諸先輩誰しもの夢であり、兎にも角にも「第九」を当時の音楽の殿堂“東京文化会館”で実現することの歓びを現役先輩ともに共有し、法政オケにとって大エポックだったのでしょう。この時こそ普段接することのない古いOBの方々の出現は時間を積み重ねてきた楽団の価値を初めて感じさせてくれた出来事でした。
多くのOBにとってのコミュニティーのほとんどは在籍した前後の直接出会った身近な先輩後輩のリレーションである筈です。しかし、離れた世代のOBでも音楽に心を寄せ、情熱をもって過ごした学生時代の思いは同じで、それは利害を超え、年齢を超え、性別を超えて語り合える不思議な絆の世界だと私は思えるのです。OB会はその絆を具体的なコミュニティーの場にするためにあると思っています。なかなか多くのOBの皆様に満足して頂けるような施策を打つことは出来ておりませんが、まずは5年ごと、10年ごとの周年には何か皆様に報告が出来ることを実行しようと考えております。
前号にもお知らせしましたが、今年95周年を迎えるにあたって、来る11月23日(水・勤労感謝の日)にOB各年次の代表に法政大学校舎にお集まりいただき会合を開催いたします。本来であれば全OBにお集まり頂けるイベントとしたいところですが、そこまでの大会を開催する力量はなく忸怩たる思いもありますが、あと5年後の創立100周年を皆様と盛大に祝う足がかりとなればと思い開催いたします(詳しくは本号4Pをご参照ください)。
 今、会報をお送りしているOBの数は800名を超えております。今後この数は増えてもまいります。少しでも世代を超えたコミュニティーの場を作りたいのですが、どうでしょう、現役は今も変わらず年2回の定期公演を開催しております。まずは皆様の同期でお誘いあわせの上ご来場なさってみませんか? 横のつながりを大切に、それがOB会の初めの一歩です。そして今の法政大学交響楽団の力となると思います。われらが法政大学交響楽団の今のサウンドをたまに聴くのも良いものです。

惜別 元 OB会長 青木 健氏 逝く

 長年ご尽力いただいた元OB会長の青木健さんが、5月15日大動脈解離ためご逝去されました。
1955年に卒業されパートはフルート、83歳でした。
心より御冥福を祈り申し上げます

aokiOB会長三代 左より前会長 木田 政教氏・中央 元会長 故青木 健氏・右 会長 橋本 伸一郎氏
2016年5月13日 第135回 定演終了後 撮影

青木 健さんの思い出

前会長(S40年卒・Vc) 木田 政教

 蝉が煩く鳴くお寺での境内。美しい音色というより、まとまりのない、賑やかな音が聞こえてくる。蝉に負けない個性的な賑やかな音の発生源がこの団体。メンバーは少ないもののそれぞれ自信ありげに弾く若者の団体は法政大学交響楽団という。先輩方も参加された合宿は、新人の私にとって、何となく疎外感ある落ちつかない雰囲気だった。
特に、この団体には似合わない押しと特別の音楽感を持つ、なかなか外濠を埋められない先輩がおられ、あとで青木健先輩と紹介された。同じく参加されていた1年後輩の梅沢先輩(元 OB副会長 故人)は、対照的に社交的でバイオリンも優しく奏でられた。お二人の参加は、戦後法政オケ復興時代の姿を伝え、私たち現役との間隙を繋ぐ貴重な先輩方だった
 初期の頃、疑心暗鬼で先輩に接していた私であったが、定期演奏会で青木先輩のグルック(1961年都市センターホール第25回定期演奏会 グルック/フルート協奏曲)を聴くことになる。美しいいフルートの音色もさることながら、フレーズを十分な酸素で満たし続け、色を付けてゆく技術と体力に感心した。音色は小生の心に息吹として旋律が響き届いてくる。音楽の素晴らしさを、さらに吹き込まれたのだった。青木先輩は、より良きフルートの音色を求めて林リリ子先生の門を叩く。フルートの分野ではソリスト、一流プレイヤ―を輩出している名門である。後に結婚される友子夫人とは、この時のご縁。林リリ子先生のご紹介によると伺った。
私が東京を離れ生活をするようになると、先輩としばらく疎遠となるが、再び東京に戻ると、偶然にも青木先輩宅がご近所であった。そんな地理的関係から息子は先輩と友子夫人にフルート指導を受けることになる。熱心な青木ご夫妻の指導にフルートを学ぶ生徒は多く、毎年「グループA」と称して、盛大に発表会を催しておられた。
 先輩は仕事の関係で現役演奏会を聴く機会が少なかったが、OB会関連の相談に伺うと「わかった、これは俺が聞いておく」と頼もしい返事をいただいた。強引なところもあったが、後輩思いの優しさを感じていた。ある日、ピアノの部屋に先輩がチェロを取りだしてきた。確かフルートが専門と理解していたが、「勉強しているんだ。梅沢が俺の為に遺してくれた楽器チェロだよ」とポツリ。先輩は古稀を過ぎてチェロレッスンに通うようになる。ただフルートとはかなり勝手が違うようで、「チェロは難しいな、フルートの経験からかなり応用が可能かと思っていたんだが、楽器が自分の方に向いてくれない」とかなり悩んでおられた。チェロ奏法のもどかしさを感じ、自らを語る先輩の姿は、昔のイメージと真逆で青木さんの新たな一面を感じた。後日先輩の希望でチェロ重奏をすることになった。私達のチェロを聞いていた友子夫人は、楽しそうに弾く青木さんの姿を、とても喜んでおられ、また先輩も自信を取り戻し、納得されたようだった。
 さて2016年5月13日法政大学交響楽団第135回定期演奏会に青木先輩が見えた。私の記憶では現役演奏会を訪れる青木先輩が思い出せなく、橋本会長と私は緊張してお迎えした。先輩は目を輝かしてステージの若人を見渡し、注意深く演奏を聴いておられた。先輩がどのような感想を持たれるのか心配していたが、「木田、法政オケも捨てたものじゃない。凄いぞこれは。メンバーといい、演奏も、びっくりしたね!」よほど嬉しかったのか、感想を率直に語る。オケに対して音楽に対しても常に厳かった先輩が、熱演する後輩の活動を目の当たりにして、ポジティブな感想を語るとは予想もしていなかった。今日の演奏が青木先輩の夢にかなった音楽であり、安堵感も漂う喜び方に映った。終演後のニ次会のお酒もすみ、先輩が愉快に、音楽と人生を語る姿は初めてである。楽しい時間を皆ですごした。青木先輩を上石神井のお宅へお送りする車内で「おい木田、チェロをさらに進めたい、お前来月から家に来い。一緒にチェロを弾こう。いいな! それから古いOBを集めて話を聞こう。座談会がいいかな?」私は青木先輩との新しいページが開かれたことが嬉しく、大きく頷いた。先輩はタクシーを降り、路地向こうの自宅へと向かう。頼もしい青木先輩の後ろ姿だった。しかしこのお見送りが、まさか最後になるとは。
 3日後、訃報を聞き自宅へ駆けつけると、音楽を愛し、多くのフルート愛好家を育て、友子夫人と共に過したピアノの部屋に先輩は静かに寝ておられた。傍らで友子夫人が「青木は、全て自分の意向で行動する人です、旅立も自分で決め先に逝ってしまった…」と静かに話された。生前青木先輩は、現役や後輩に対して期待が大きく、対応も違い、独特の意見を唱えられるので、私も意見が合わない事があった。ところが先輩を大きく変えたのは三日前の定期演奏会。先輩の夢を具現したあの演奏の瞬間と私は信じている。その日のメインプロ「交響曲第5番    /メンデルスゾ―ン作曲」は青木先輩への素晴らしい贈り物となった。そして壮大なコラールの響きの中を先輩は満たされ、旅立って逝かれた。
 青木先輩の要望に応える事が少なかった自分だが、公私にわたる長年のご指導を心から感謝している。永遠の安らぎをお祈りいたします。

故青木健 元OB会長を悼む

会長(S50年卒・Vc) 橋本 伸一郎

 今年5月15日、戦後の法政大学交響楽団初代OB会長の青木健さんが永眠されました。今日の法政オケの礎を築いた人であり、広く音楽の世界でも世界的ブランドフルート「村松フルート」の要職に就き、またフルート協会の事務局長として、日本にとどまらず世界的な多くのフルーティストたちを物心ともに支えた方でした。第一の印象は眼光鋭く、一徹の風が漂う正にOB会長という毅然とした印象でした。

西新宿のかつ丼
 「何で〝ハクチョウコ゛やるの、お金もないのに…」、新年度新責任者の先輩に連れられて新米楽器係の私が当時のOB会長青木さんから発せられた「唖然‥」ともし「愕然」ともした一言でした。戦後の苦しい時代から脱しようとしていた時代に、やりたい曲をやるというのは大変難しいことだったようです。なぜ白鳥の湖にクレームをつけたのか、それはハープを使うという理由でした。今では特殊楽器に奏者をお願いすることは当たり前ですが楽器の使用料、出演料をねん出することが限られていた時代を過ごした青木さんには贅沢と映ったようです。当然私たちにとってそのようなクレームは思いもよらない理不尽さを感じるOBの言葉でした。〝OB会長は煙たいな“そんな感じの出会いでした。しかし、ちょうど昼時、確か村松フルートのとなりがお蕎麦屋さんでメシを食おうと我々を連れ立って、ご馳走いただいたのがかつ丼でした。美味かった‼‼ そんなことで、事あるごとに村松フルートにお邪魔してご報告と称してご馳走になりました。

伊豆の別荘地で新生「新日本フィル」の団員に?
 1972年、名門オーケストラ日本フィルがフジテレビ、文化放送より解散通告を受けいわゆる日フィル争議が起こりました。その騒動の中、一部奏者によって新しく新日本フィルハーモニー交響楽団が作られました。しかし、経済的な裏付けもない新生「新日フィル」は小澤征爾氏や故山本直純氏らの知名度の高い指揮者団に支えられスポンサーとなる企業を探していました。その時の夏休み青木さんから法政オケに連絡がありました。「伊豆の別荘地のコマーシャル撮影に山本直純さんと新日フィルが出るのだがオケとしての頭数が足りないから君たち手伝え」新日フィルは当時日本を代表する管楽器ソリストを中心に設立されました。分裂の際日フィルの多くの弦楽器団員は日フィルに残り新日フィルには弦楽器の正規団員は少なかったのです。音のいらないCM撮影に高い出演料のエキストラは雇えないし、ずぶの素人では映像が嘘っぽいため、オケマンに見えるエキストラが必要とのことで、当時の首席フルーティスト峰岸壮一氏から青木さんにエキストラ探しの依頼があったのでした。
 一報を受けた我々は夏休み中ではありましたが帰省せず練習(?)に毎日学校に来ていた者や連絡の取れるものをかき集め、それでも要請の員数が足りずいつもお手伝い頂いている音大生にも連絡、仕立てられたバスに泊りがけ(食事は豪華バイキング、宿泊先は出来たばかりの分譲別荘)でCMの撮影に参加しました。出来上がったCMのキャプションには演奏「新日本フィルハーモニー交響楽団」となって、我々は間違いなく新日フィルのエキストラをこなしたのです。こんな体験も青木さんがいたお陰でした。

 怖いOB会長でしたが音楽にかける情熱と見識は単なるアマチュアの領域を超え、絶えず音楽の世界に貢献された方でした。そして、法政大学交響楽団を愛し、その発展をいつも見守っていらっしゃいました。いみじくも急逝される2日前、法政オケの定期に久しぶりにお見えになり木田前会長も交え「会長3代そろい踏みだな」などと公演後楽しいお酒を酌み交わしたのが最後でした。
あと5年で法政オケは100周年を向かえます。OB会として戦後の法政オケの歩みをまとめようと考えていました。最も大事な時期のお話を伺うことの約束をいただいて喜んでいる矢先の青木さんの急逝でした。たくさんのエピソード、法政オケの礎となるお話をとうとう聞けなくなりました。大変残念です。
 今、法政オケは100名以上の団員を有し、やろうと思えば何でもできるオーケストラに成長しました。ハープ一つ使うことに神経を使う時代からへの発展を亡くなる2日前に直に目の当たりにし、喜ばれて逝かれたと思います。こうした先達のいることを少しでも後世の団員は知っていてほしいとつくづく思います。
合掌

青木 健氏との出会い

音楽監督 福井 功

 日本に於ける学生オーケストラの活動は、大正になってから東京帝国大学(現東大)で、近衛秀麿、辻壮一という人たちが中心になって始められた。法政のオーケストラ(以下オケ)は、大正10年(1921年)に海軍軍楽隊出身で、あの有名な「軍艦マーチ」の作曲者瀬戸口藤吉氏を初代指揮者に迎えて発足した。先輩の話では、その後リムスキー・コルサコフ作曲の「シェヘラザード」を演奏した程のレベルが高かったそうだ。戦時中は残念乍ら活動は途絶えていたと思われる。
 終戦後しばらくして、故青木健氏(Fl)が7、8人から始め、その後人数を集めてオケの形を作っていった。そして、法政大学に在学中に瀬戸口藤吉氏の指導を受け、卒業後法政オケの指揮を経験された作間毅氏に常任指揮を依頼。最初は小編成でもできる曲から始め、ベートーヴェン作曲の「運命」を演奏出來るまでになっていった。丁度その頃、明治大学のオケが東北地方への演奏旅行に行き、小生はエキストラで参加、青木氏も同行。その時「あなた法政だって? うちのオケ手伝ってよ」と言われたのが切っ掛けで手伝うようになった。ある時、神楽坂の一平荘という料理屋での総会で、青木氏から「うちのオケで棒を振ってくれませんか?」と頼まれ、芸大で山田和男先生の指揮法のレッスンを少しうけたこともあったので、承諾することになった。
 当時の部員は非常に音楽に熱心で、プログラムの選曲等、全て一緒に考えたりした。その後部員も増えると、大曲や学生初演の曲など手がけるようになり、指揮者就任20周年のプロは、ブラームスの「交響曲四番」レスピーギの「ローマの松」等を演奏。その時から全曲を暗譜で演奏することにした。その後の部員は常に百人を超えるようになると共に、部員との意思の疎通も変化、マーラー編曲のベートーヴェン作曲の「第九」を最後に38年間の常任指揮者を終えることになった。法政オケのますますの発展を望んで止まない。


当時のオーケストラのことなど

S58年卒・Vn)鈴木 裕

  自分が法政大学のオーケストラ部員だったのは1979年からの4年間で、運営学年の3年生の時は渉外マネージャーだった。その時に立命館大学との合同演奏会をやって、ずいぶん大変だった。迎える側だったので、宿舎や大きな練習場の手配から彼らをアテンドして送迎したり。打ち上げの2次会であやうく20万円の赤字になりそうだったし。翌年、京都に行ってやった合同オケによる「マイスタージンガー前奏曲」演奏は今でも自分の中の宝物だ。大編成の快楽である。
 ジュネス・ミュージカルズの存在も大きかった。本部がブリュッセルにあるユネスコ傘下の組織で、日本では実質的にNHKがお金を出しての活動だった。オーケストラ部門と合唱部門とマンドリンオーケストラ部門があった。オーケストラだと、たとえば尾高忠明さんの指揮でブルックナーの第8交響曲をやったり、小林研一郎さん指揮でR.シュトラウスの「ツァラトゥストラ」を演奏したものだ。あるいは朝比奈隆さん指揮によるベートーヴェンの第九は忘れがたいもののひとつだ。自分は第九は乗っていなかったが練習にはすべて立ち会っていて、朝比奈さんが「もっとーっ!」と言いながら顔を紅潮させてタクトを振り下ろすとオーケストラからとてつもない音が出てきて驚いた。あーこれが本物の指揮者なんだと思った(もちろん尾高さんにもコバケンさんにも同じことを感じたが)。第九のNHKホールでの本番のあとは打ち上げで、しこたま飲んだ挙げ句、さいごは渋谷駅のハチ公の銅像のところで、30人くらいでやった第九もこれまた忘れられない。と書いてもなんのことかわからないだろうが酔っぱらった学生たちが、出せる楽器の者は実際にヴァイオリンやフルートを取り出し、出せない人は口で自分のパートを歌って、第九を”演奏”したのである。お巡りさんも止めに来なかった。1楽章を全部やった気がする。たぶん4楽章もやった。時々、あの頃のことは夢とか妄想じゃないかと思う時もあるが、ネットで検索するとその時のコンマスだった東大の柏木真樹くん(ニックネームはプリンちゃんだった)のサイトにヒットしたりするので、やはり本当なんだと確認したりする。
 大学卒業後はラジオのディレクターになり、1997年ころからオーディオ雑誌で書き始め、最近では音楽之友社の『レコード芸術』誌でも連載などを持たせてもらっている。高名なクラシックの音楽評論家の方や音大の先生などと対談させてもらう機会もあり、不思議な気持ちになる。単なるクラシック好きがオーケストラ部に入り、ヴァイオリンを始め、そこから人脈が広がり、こんな風にクラシック音楽と付き合えているなんてと思う。
 「昔話」と「説教」と「自慢話」はカッコ悪いのでこのあたりにしておきたいが、大学時代の4年間は一生の間でも夢のように楽しい時代なので、もし現役の人がこれを読んでいたら法に触れない範囲で思いっきりやらかしてほしい。
(現在、オーディオ評論家として活躍中)

事務局より

【年次代表者会議開催のお知らせ】

副会長 伊藤 泰彦

1)開催日時   平成28年11月23日(祝・水) 14時
(2)開催場所   法政大学内 ボアソナードタワー25階 B会議室
(3)出席者  各年代の年次代表者 OB会役員 現役執行部 他
(4)会議内容     ①OB会の現状と課題
② 現役の現状と課題
③100周年記念行事の開催にあたり 他
(5)その他       会議後、会場と同じフロアにて懇親会を行います。レストラン・スタッフクラブ

1964(今井 健一)    1965(木田 政教)    1966( 武田 洋 )      1967(木村 義勝)

1968(鳥越 義一)  1969(竹内 暁夫)    1970(伊里 茂)    1971(仲田 重則)    1972(山崎 勝司)         1973(碓井 幸男)
1974(永江 陽)     1975(橋本 伸一郎)     1976(丸山 忠夫)    1977(容貝 和雄)    1978(深井 昭彦)
1979(藤田 次男)     1980(緒賀 卓也)    1981(伊藤 泰彦)    1982(中嶋 章夫)    1983(小山 直樹)
1984(和田 裕義)    1985(駒込 雅史)    1986(澤田 秀実)    1987(藤田 元康)    1988(佐藤 明)
1989(片山 岳夫)    1990(代表・未定)    1991(安藤 省岳)    1992(宇津木 猛)    1993(西山 泉)
1994(清水 基樹)    1995(鈴木 章介)    1996(中村 学)    1997(岩崎 倫久)    1998(杉浦 孝雄)
1999(森谷 隆一)
2000(境澤 達也)    2001(古川 修)    2002(定塚 祐介)    2003(石井 隆暁)
2004(松元 健)    2005(津田 篤志)    2006(溝口 恭平)    2007(西野 寛和)    2008(大瀬 良介)
2009(寺内 健太郎)    2010(三月 圭介)    2011(保坂 太郎)
2012(大野 雅志)    2013(高野 智晴)
2014(金谷 柊吾)    2015(鈴木 雄介)    2016(宮坂 稔也)
※ 1955年~1963年は木田前会長に取りまとめをお願いしております。

OB・OG諸氏へのお願い
(1)年次代表者リストからご自身の代の年次代表者をご確認ください。
(2)今後、各年代の代表者より連絡する事項があります。連絡が受け取れるよう、ご自身の年次代表者へ連絡先をお知       らせください。
(3)まだ年次代表者が決まっていない代もあります。その代の方で「やります」という方のお申し出をお待ちしております。
是非HPよりメールで事務局までお知らせください。
(法政大学交響楽団公式サイト http://www.hoseiso.com より「OB・OG」のお問い合わせへ)

【校友会会員登録のお願い】

副会長 藤田 次

 法政大学校友会は、一昨年一般社団法人化し、その基幹活動としてCCS事業(キャリア支援、カルチャー活動、スポーツ交流)を推進しています。その一環として、交響楽団も定期演奏会への支援や各種イベントにおける演奏オファーの増加等という形で恩恵を受け始めており、今後も、具体的な計画も含めていろいろな展開が予想される状況にあります。現役部員もこの様な流れを好意的に受け止め、協力的な意向を示しております。
 その一方で、学内における交響楽団の現状は、その規模や歴史・実績・貢献度等と比較しても、決して恵まれた環境にはない、というのが実情です。他のサークルと同等扱いされ独立した部室もなく、音を出して練習できる環境という面でも、学生会館が存在した時代に比べ、かなり厳しい状態におかれています。
 交響楽団OB会は、以上の様な状況を踏まえ、交響楽団の認知度やプライオリティーの向上をサポートしていく旨を第一と考え、昨年校友会のパートナー組織に登録を致しました。この事により、校友会との情報交換等において、より密接な関係が構築されつつあります。しかしながら、パートナー組織としては他の団体と比較しまだまだ認知度が低く、今後への課題となっております。
その課題の一つとして、パートナー組織登録をした校友会会員数がまだ少ないことが挙げられます。会員は各個人が登録されるものですが、その際任意ではありますが希望する所属パートナー組織を登録する事が出来ます。交響楽団OB会は、800人以上の会員数を数える一方、登録会員はまだ一桁で、他の団体と比較しかなり見劣りする状況で、如いてはこの事がイベント参加団体選定時に影響を及ぼしかねない旨、一部から指摘をされています。校友会自体も、個人会員の入会を強力に推進しており、皆様方の中にも各方面から勧誘を受けられている方もおられるかとは思いますが、諸事情をご理解頂き、交響楽団OB会を所属パートナー組織として登録頂いた上でご入会頂きます様、お願い申し上げます。所属パートナー組織のコードNo.は40066です。入会金は3万円ですが、最長10年の分割払いが可能です。尚、卒業後経過年数が50年以上の方は1万5千円(一括納入のみ)となります。会員となられた方には、終身会員証カードと会員の金バッジが送付されます。因みに1団体当たり会員40名につき代表議員1名を擁立でき、校友会への参画が可能となります。
 入会ご希望の方(若しくは入会済みの方)は、OB会事務局までご一報ください。尚、資料請求は法政大学校友会のホームページからも入手可能です。 URL  http://www.hoseinet.jp/info/

【「オール法政新年を祝う会」参加者募集】

主催:法政大学校友会
日時: 2017年1月28日(土)受付15:30〜
会場:グランドニッコー東京台場(旧 ホテルグランパシフィックLE DAIBA) 東京都港区台場2-6-1
会費:¥12,000(予定)
※イベント詳細については未定です。
参加ご希望の方は12/15迄に事務局までご連絡下さい

【変更事項ご連絡のお願い】

事務局長 松田 敦

 OB会では、OB・OGの皆さまへ会報・演奏会のご案内・周年行事のご案内等をお送りする為、OB会名簿を整備しております。つきましては、住所・電話番号・ご結婚による氏名の変更があった方は、下記いずれかの方法でOB会宛ご連絡をお願いします。
尚、頂いた情報は厳重に管理し、会報・周年事業のご案内等にのみ使用し、会員相互間にも開示は致しません。
≪ご連絡を頂きたい事項≫
○ 氏名・卒業年(なるべく西暦で)・パート
○ 変更後の住所・電話番号等
○ 旧姓(氏名変更の方)
≪ご連絡方法≫ ~ 下記いずれかの方法で
• OB会事務局宛直接メール → E-mail : ob-kai@hoseiso.com
• 下記【ホームページ閲覧のご案内】に記載の法政大学交響楽団ホームページから、「OB・OG会」
サイトへ入り、MENUの「お問合せ」をクリック→展開されるフォームに変更事項を記載し送信• 事務局宛郵送またはファックス
郵送先:〒276-0042 千葉県八千代市ゆりのき台1-13-2-406 松田敦
ファックス :047-483-1095

※現在、下記の方々の住所が不明です。まずはご本人様より連絡を頂ければいいのですが、ご存知の方がいらっしゃいましたらご本人様に確認の上お知らせいただけると助かります。
≪敬称略・西暦は卒業年≫
・1958相木Fl  ・1979森保Hr  ・1985高田(旧姓 佐藤)Vla /岩崎Tp/西野Trb
・1986福原Fl/佐伯Cl ・1988 酒井(旧姓 橋本)Vc /東Vc  ・1989片山Hr /菅谷Vn ・1992宮下Cb
・1993 安藤Vn /松江Vc ・1994中川Hr  ・1997小林Vn /河辺(旧姓 中村)Hr
・1998藪井Vla/杉浦Vn /石川Cb /小柳Trb/白波瀬(旧姓久保野)Vn
・2001坂本Tp /白波瀬Vn/梶尾Fl ・2002於島Cb ・2004山田Vla /高野CB /高橋Fl
・2005浅野Cb /高柳Vla ・ 2006 澤崎Per /豊田Vla ・2007下Cb/尾作Fg
・2008 米満Fl /桜田Vn / 蒔田Cb /森Vn ・2009 高橋Vc / 町山Trb / 吉澤Vn/吉田Fl /菊池Hr
・2010 中角Vla /西井Trb /田中Vn /古池Fl  /山下Ob  ・2011安垣Vn / 山口Vn/村田Trb/西村Cl
・2012 堀野Hr/ 朝倉Vc ・2013渡辺Vn/益満Cb/前澤Vn/町田Vn・
・2014白山Vn/石澤Vn/河野Vla/坂本Vn /永岡Vn  ・2015佐藤Trb/宇都宮Vn/中島Vla
・2016井上Vn

【OB会費ご協力のお願い】

 現在、約800名の会員がいらっしゃいますが、会費をご入金頂ける方は100名強です。本会報の作成お届けには一冊あたり100円弱の費用がかかり、ご入金頂いた会費の殆どが会報費で費消されています。また、来る2021年には、法政大学交響楽団創立100周年を迎えます。OB会としても節目の周年行事を企画して参ります。
つきましては、一人でも多くの方に2,000円(年間)の会費ご協力をお願いします。趣旨にご賛同頂ける方は、下記要領にてお振込みをお願い致します。また、2,000円を超えるお志につきましても大歓迎です。是非、よろしくお願いします。
尚、本会費はご協力のお願いであり、OB会への入会条件ではありませんので、念の為申し添えます。

○郵便局をご利用の場合
•    口座記号番号: 00110=8=466861
•    加入者名  : 法政大学交響楽団OB会
○銀行をご利用の場合
•    銀行・支店名 :りそな銀行室町支店
•    預金・口座番号:普通預金 4010148
•    口座名義   :法政大学交響楽団OB会(ホウセイダイガクコウキョウガクダン オービーカイ)

編集後記

 私事ですが、フルートを吹き、フルートを作り、フルートの世界にどっぷりと浸かって、少しばかりデジタルの世界に飛び込んだものの、結局フルートに戻り音楽に関わっています。オケを卒業したのが1976年。40年が過ぎています。「歳月人を待たず」といいますが、本当に時間の感覚がだんだん短くなり、この前桜が咲いたかと思へば、もう紅葉の気配を感じます。結婚の仲人を青木さんご夫妻に、司会を伊里さんにお願いし、気がつけば子ども達も巣立ち、こうしてOB会のお手伝いをさせてもらい、この先何ができるのか整理する時機に至っています。
 青木さんが逝かれる2日前、5月13日すみだトリフォニーホールの入り口に私も立っていました。久しぶりの対面でしたが、「元気か?」「カミさんどうしてる?」いつも通りの会話で、青木さん自身も変わらぬ風貌で100周年のご相談もしました。「村松フルート」でも「フルート協会」でも先輩でした。まさかの知らせに、いまだに割り切れず、またどこかで「元気か?」と声をかけられそうな気がしています。
 私と青木さんとの関係は少し特異に映るかもしれませんが、皆さんにとっても4年間の在籍が、良しにつけ悪しきにつけ多彩な人間関係を育み、今に継ながっている事と思います。それがこの会の集まりの共通な想いと心得ています。
青木さん、謹んでご逝去を悼み、生前の温かいご指導に対し、あらためてお礼申し上げます。

会報発行責任者(S51年卒・Fl)土本 里志

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