訃報 堤さんの事(2012)

悲しいお知らせです。
1979(昭和54)年卒、堤君が5/25に逝去されました。
法政オケの案内状が届いたので、奥様がOB会の事務局にその旨連絡して頂きました。
死因は、劇症型心筋炎との事です。風邪のウィルスが入り込んでしまった様です。仕事から帰宅後、自宅で急に倒れられ、病院に搬送後、約1週間ICUに入っていましたが、意識が戻ることなく、みまかられたとの事です。

一昨年の三浦君に続き、同期の仲間がまた一人いなくなってしまい、只々悲しい限りです。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

又皆で集まって、堤君を偲びたいと思います。

同期 藤田次男。

半年前の事とは言え、驚きを隠せません。こちら事務局にとってはOBの方々の噂を聞く事はあっても、近況を把握することは中々難しいものです。
今回の事でサイトを調べていた所、堤智さんの所属していた佐賀交響楽団の理事長である吉原敏郎さんが、彼の亡くなる直前の様子を記事にされた文章を見つけました。生前の活躍を垣間みるいい文章と思い、吉原敏郎さんに直接転載のお願いをした所、快く引き受けて頂きましたので、ここにご紹介させてもらいます。

堤智さんによる最後の練習

5月15日は、練習指揮者堤智さんの最後の練習となりました。ショスタコの2・4楽章でした。どんな練習風景だったでしょうか。必死で細かく思い出そうとしていますが気持ちばかり焦って上手く思い出せません。

堤さんは打楽器奏者です。ショスタコは、ティンパニーはMさんに決まっていますが、大太鼓や小太鼓やシンバルや木琴、トライアングル、グロッケンなどの楽器は誰が担当するかはまだきちんと決まってはいません。

休憩時間に堤さんが打楽器のところにやってきて、小太鼓のパートの練習を始めました。装飾音符が3つ付いた部分を練習していました。2楽章や4楽章に出てきます。3つの装飾音符をきちんとはっきり出して演奏していました。私が「九響の関さん(打楽器奏者)は少しつぶして叩いているそうですよ」と言うと「ああ、こんな風にですね」といって粒をはっきり出さないで叩いていました。今思うと堤さんは小太鼓を担当するつもりだったのかも知れません。ほんの数分でしたが楽しそうに小太鼓に興じていました。

練習指揮というのは、自分の演奏したい楽器は演奏しないで、指揮棒を握るわけですから辛い面もあると思います。全体のためにはなくてはならない人ですが、自分の弾きたい楽器が、毎週弾けないのですから本当はさびしいのかもしれません。だから彼は、練習が始まる前にティンパニーをたたいたり、今回のように休憩時間に小太鼓の練習をしたりしていたのかなと今更ながら彼の本心を聞けなかったことを悔やみます。

練習が終わっていつものように打楽器パートの堤さんとMさんと私の3人でティンパニーや指揮者用譜面台やいす、小太鼓、木琴などをリハ室から出し楽器庫へ運んで収納してカバーをかけて楽器庫のカギを閉めて「また来週ね」と言って別れたのです。それが最後の言葉となりました。実に残念です。悲しくてたまりません。佐響はとても大事な人を失いました。彼が練習中に言ってきたこと、指導してきたことを一つひとつ思い出しながらこれからの練習を励みたいと思います。

吉原敏郎さんありがとうございます。
お礼申し上げます。

なお、吉原敏郎さんの詳しい記事をご覧になりたい方はこちらへ クリック

堤智さんのご家族のみなさんに、遅ればせながらお悔やみを申し上げます。

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